森の若葉

                     金子光晴    

なつめにしまっておきたいほど

いたいけな孫むすめがうまれた

新緑のころにうまれてきたので

「わかば」という 名をつけた

へたにさわったらこわれそうだ

神も 悪魔も手がつけようない

小さなあくびと 小さなくさめ

それに小さなしやつくりもする

君が 年ごろといわれる頓には

も少しいい目本だったらいいが

なにしろいまの日本といったら

あんぼんたんとくるまばかりだ

しょうひちりきで泣きわめいて

それから 小さなおならもする

森の若葉よ 小さなまごむすめ

生れたからはのぴずばなるまい

 

 

あとから来る者のために

              坂村 真民

 

あとから来る者のために

田畑を耕し 種を用意しておくのだ

山を

川を

海を

きれいにしておくのだ

ああ

あとから来る者のために

苦労をし

我慢をし

みなそれぞれの力を傾けるのだ

あとからあとから続いてくる

あの可愛い者たちのために

みなそれぞれ自分にできる

なにかをしてゆくのだ

 

 

 

 

暖簾 

         永井龍雲

 

心にポツンと 寂しさの明りが灯る

やさしい人に逢いたい こんな夜には

温かな言葉にふれたい

暖簾を潜って 立ち上る湯気の行方にも

ささやかな人生 謳うものがある

明日を信じて 生きたい

馬鹿な生き方しか どうせできないけれど

お前らしくいいさと 今夜も酒が笑う

 

死ぬほど本気で

惚れて惚れて惚れて 惚れ貫いた

あの女に逢いたい

こんな夜には

気取った夢など要らない

酔って男が涙 流せば見苦しいね

すべて胸にしまえと 今夜も酒が叱る

馬鹿な生き方しか どうせできないけれど

お前らしくていいさと 今夜も酒が笑う

 

 

 

 

 

世界は一冊の本

 

               長田 弘

 

本を読もう。

もっと本を読もう。

もっともっと本を読もう。

 

書かれた文字だけが本ではない。

日の光、星の瞬き、鳥の声、

川の音だって、本なのだ。

 

ブナの林の静けさも

ハナミズキの白い花々も、

おおきな孤独なケヤキの木も、本だ。

 

本でないものはない。

世界というのは開かれた本で、

その本は見えない言葉で書かれている。

 

ウルムチ、メッシナ、トンプクトゥ、

地図のうえの一点でしかない

遙かな国々の遙かな街々も、本だ。

 

そこに住む人びとの本が、街だ。

自由な雑踏が、本だ。

夜の窓の明かりの一つ一つが、本だ。

 

シカゴの先物市場の数字も、本だ。

ネフド砂漠の砂あらしも、本だ。

マヤの雨の神の閉じた二つの眼も、本だ。

 

人生という本を、人は胸に抱いている。

一個の人間は一冊の本なのだ。

記憶をなくした老人の表情も、本だ。

 

草原、雲、そして風。

黙って死んでゆくガゼルもヌーも、本だ。

権威をもたない尊厳が、すべてだ。

 

2000億光年のなかの小さな星。

どんなことでもない。生きるとは、

考えることができると言うことだ。

 

本を読もう。

もっと本を読もう。

もっともっと本を読もう。

 

 

 

わたしが一番きれいだったとき

                  茨木 のり子

わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした


わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達が沢山死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落してしまった


わたしが一番きれいだったとき
だれもやさしい贈物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差だけを残し皆発っていった


わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った



わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた


わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった


わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった


だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように

 



心訓

          福沢諭吉

 

1.世の中で一番楽しく、立派なことは、一生涯を貫く仕事をもつことです。

2.世の中で一番みじめなことは、人間として教養のないことです。

3.世の中で一番さびしいことは、する仕事のない人です。

4.世の中で一番みにくいことは、他人の生活を羨むことです。

5.世の中で一番尊いことは、人のために奉仕し、決して恩にきせないことです。

6.世の中で一番美しいことは、すべてのものに愛情をもつことです。

7.世の中で一番悲しいことは,嘘をつくことです。        

 

青春ーサムエル・ウルマン 
 

青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。

逞しき意思、優れた創造力、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ。
 年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。

歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。
 苦闘や狐疑や、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。
 年は七〇であろうと、一六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。
 曰く、驚異への愛慕心、空にきらめく星晨、その輝きにも似たる事物や思想に対する欽仰、事に処する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探究心、人生への歓喜と興味。
 人は信念と共に若く、疑惑と共に老ゆる。
 人は自信と共に若く、恐怖と共に老ゆる。
 希望ある限り若く、失望と共に老い朽ちる。
大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、そして偉力の霊感を受ける限り人の若さは失われない。
 これらの霊感が絶え、悲歌の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至ればこの時にこそ人は全くに老いて神の憐れみを乞う他はなくなる。


 時間よ止まれ
                  矢沢 永吉

罪なやつさ Ah PACIFIC  
碧く燃える海
どうやら おれの負けだぜ
まぶた 閉じよう
夏の日の恋なんて 幻と笑いながら
この女に賭ける


汗をかいた グラスの
冷えたジンより
光る肌の 香りが
おれを 酔わせる
幻でかまわない 時間よ止まれ 
生命の めまいの中で


罪なやつさ Ah PACIFIC
都会の匂いを
忘れかけた この俺
ただの男さ
思い出になる恋と 西風が笑うけれど
この女に賭ける

Mm―STOP THE WORLD
夢をあきらめないで

     岡村 孝子

乾いた空に続く坂道 
後姿が小さくなる
優しい言葉 探せないまま
冷えたその手を 振り続けた
いつかは皆 旅立つ
それぞれの道を歩いていく
あなたの夢をあきらめないで
熱く生きる瞳が好きだわ
負けないように 悔やまぬように
あなたらしく輝いてね


苦しい事につまづく時も
きっと上手に越えて行ける
心配なんてずっとしないで
似てる誰かを愛せるから
切なく残る痛みは
繰り返すたびに薄れていく
あなたの夢をあきらめないで
熱く生きる瞳が好きだわ
あなたの選ぶ全てのものを
遠くにいて信じている

  
  旅上               萩原 朔太郎
  
 ふらんすへ行きたしと思へども
  ふらんすはあまりに遠し
  せめて新しき背広をきて
  きままなる旅にいでてみん。
  汽車が山道をゆくとき
  みづいろの窓によりかかりて
  われひとりうれしきことをおもはむ
  五月の朝のしののめ
  うら若草のもえいづる心まかせに。
    
 

       鳥
                                                   長田 弘

鳥を飼っていた。少年のときだ。はじめて飼った鳥だった。鶸(ひわ)だった。

白い瀬戸物の貯金箱を叩きこわし、貯めていた小遣いぜんぶを握りしめて、わたしはある日、街はずれの鳥屋に駈けていった。高価な鳥は買えない。鳥屋の主人は、一番ちいさな鳥を一羽、ゆずってくれた。それが鶸だった。しかし、わたしは満足だった。それから、毎朝、鶸色といわれるその鳥の可憐な黄いろい羽根を眺め、鳴き声をたのしみ、夜は黒い風呂敷で鳥籠をつつんで、眠った。どうしてそんなに鳥を飼いたかったのか、思い出せない。少年の気まぐれだったのだろうか

 けれども、たとえそれが気まぐれからだったにせよ、その小さな一羽の鶸色の鳥を飼ったことは、わたしのなかに癒しがたい記憶をのこすことになった。鶸はそれから一ヶ月後に死んでしまったからだ。
 鳥を飼ってしばらくして、わたしは修学旅行にゆかねばならなかった。短い旅行だったが、エサが心配だった。母に頼んだ。そして、鳥をよく知らない母は、鶸にその五日のあいだ、エサをあまりにもあたえすぎた。
 鶸は食べすぎて、ちいさな鳥籠のなかでじゅうぶんに飛びまわることができなかった。わたしがかえってきたときは、止まり木から墜ち、異様に腹を膨らませて、鳥籠の底に倒れて、死んでいた。
 昭和の戦争に時代に幼年を経験したわたしには、死は飢えのイメージにしかつながらなかった。食べすぎて死ぬことがありうると考えることは、どうにか飢えた幼年をぬけだしたばかりの少年にとって、あまりに唐突だった。わたしは母をなじったが、母は善意の人だった。飢えの時代を生きのびた人である母の善意が、一羽の小鳥を苦しませて死なせたのだ。
 一羽の鶸の死は、ようやく大人になりかけていたわたしから無垢な感情をうばった。

 「ゆたかさ」の過剰も「善意」の過剰もまた、生きものを殺しうる。そのことに気づいた少年の日の苦痛を、いまもじぶんに負っているような気がする。
 二度とどんな鳥も飼ったことはない。けれども、そのときから、一羽の死んだ鳥はずっとわたしのこころの底に、空ろにころがったままだ。
 それは、ほんとうは飛びたかった鳥だった。必要な飢えによって飛ぶ鳥。
しかし、不必要なゆたかさによっては、どこへも飛べなかった鳥だった。

 

  貧乏な椅子                  高橋 順子
  
貧乏好きの男と結婚してしまった
わたしも貧乏が似合う女なのだろう
働くのをいとう男と女ではないのだが
というよりは それゆえに
「貧乏」のほうもわたしどもを好いたのであろう
借家の家賃は男の負担で
米 肉 菜っ葉 酒その他は女の負担
小遣いはそれぞれ自前である
当初男は毎日柴刈りに行くところがあったので
定収入のある者が定支出を受け持ったのである
そうこうするうち不景気到来
男に自宅待機が命じられ 賃金が八割カットされた
「便所掃除でもなんでもやりますから
この会社においてください」
と頭を下げたそうな
そうゆうところはえらいとおもう
家では電灯の紐もひっぱらぬ男なのである
朝ほの暗い座敷に坐って
しんと煙草を喫っているのである
しかし会社の掃除人の職は奪えなかった
さいわい今年になって自宅待機が解除され
週二日出勤の温情判決が下った
いまは月曜と木曜 男は会社の半地下に与えられた
椅子に坐りにゆくのである
わたしは校正の仕事のめどがつくと
神田神保町の地下の喫茶店に 週に一度
コーヒーを飲みに下りてゆく
「ひまー、ひまー」
と女主人は歌うように嘆くのである
「誰か一人来てから帰る」
わたしは木の椅子にぼんやり坐って
待っている
貧乏退散を待っていないわけではないのだけれど
何かいいことを待っているわけでもない